「作るまでが楽しい。どう作るかを考えているときがピークで、作り出すところからは楽しさが減っていくんだよ」
社会人になって 4 年目のころ、当時のチームの先輩がふとこぼした言葉だ。
先輩は自分より 10 年ほど年上で、技術力も高く、要件定義や設計といった上流工程もこなしながら、客先へ出向いて顧客と会話もするという、なんでもできてしまう能力の高い人だ。
当時の自分はこの言葉にピンとこなかったし、理解できなかった。相容れないとすら思っていた。
なんでこんなすごい人がこんなこと思うんだろう。コードを書くことが楽しくてこの仕事についたのだから、そこを手放すなんてありえない。設計が大事なのは重々承知している。けど、それよりも実際に自ら手を動かして作ったものが世の中で動くという実感のほうが自分にとって価値が高かった。
先輩の言葉に腑に落ちたわけでも共感したわけでもなかった。
でも、その言葉がなぜか、ずっと頭の中で反芻していた。
生成 AI が登場し、AI がコードを書く時代に突入した。
実装を AI に任せる場面が増えてきた。自分は新しい機能を追加するために、必要な修正箇所を洗い出して設計を進めていく。そして、それを言葉にして、AI に伝える。正しく伝わって思ったとおりのアウトプットができたときに達成感を感じる。
どう作るかを言葉にすることが自分の仕事になっている。
作り出す楽しさはもはや AI に渡してしまった。
いつのまにか先輩と同じ気持ちになっていた。あの頃の先輩もちょうどこれくらいの年次だったんだろうか。
社会人 14 年目、作り出す楽しさを AI に手放した淋しさを感じながら、先輩の言葉に頷いた。